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行到水窮處 坐看雲起時 [Jornal]

先日、石井ゆかりさんの「星読ナイト」に参加したと記事に書きましたが、最近執筆された本の中に「禅語」という本がありました。

石井さんの書く言葉に多大なる興味がある私は、ある日入った本屋で、その本を見つけ立ち読みしました(笑)かなりの厚さのある本ですが、手のひらサイズで、別に写真家の方が撮られた美しい写真とともに、石井さんが禅の言葉の所縁について書かれていました。

立ち読みなので、最初の数ページしか読めませんでしたが、その中でとても心に残った言葉がありました。


『行到水窮處 坐看雲起時』

行きて到る水窮まる處  坐して看る雲起こる時


石井さんは圧倒的スケールを持つ言葉、として書かれていましたが、私の心の琴線に触れたのは別の事柄でした。

実は、前述の「星読みナイト」で石井さんが、「今”2012”という終末思想の映画が公開されていますが、mixiの中で「2012年12月21日の日記」というのが流行っている。みんな世界の終わり、命の終わりの時にどんな心境かを綴った日記を読んで、みんないい人だなぁと感じた」と話されていました。

実は昔、授業で「もし、明日人類が滅びるとしたら、どんな風にして過ごすか?」というテーマで英作文を書かされました。その時私は、森に入って、巨木の傍で、巨木と会話しながら過ごす、という物語を書きました。それが、まさに「禅語」の本にあった「行きて到る水窮まる處  坐して看る雲起こる時」の心境とまったく同じだったのです。

不思議なシンクロを感じ、どんな言葉なのか調べてみると、もともとは古来中国の王維が書いた、漢詩から来たものでした。


入山寄城中故人    王維

中歳頗好道  晩家南山陲
興来毎独往  勝事空自知
行到水窮処  坐看雲起時
偶然値林叟  談笑滞還期


とても簡単に訳してしまうと、このようになります。

中年に差し掛かり仏の道を考え、晩年に南山の麓に家を構える。
行きたい時に一人散歩し、素晴らしいことが起こっても知るのは自分だけ。
水の湧き上がるところへ辿り着き、座って雲が湧きあがる様を見る。
偶然林で出会った老人と、時を忘れ談笑する。


心にスーっと入って来る言葉は、自分にとって必要な言葉、欲しい言葉なのだと思う。私にとって、『行到水窮處 坐看雲起時』という言葉は、今一番欲している状況なのかもしれません。ゆったりと時間を忘れ、落ち着いた環境で過ごす。しかし、これほど贅沢な時間もないと思います。実際、私がひとり旅をしている状況にもよく似ています(笑)

でも、ずっとゆったり時間が流れることに身を置くことはできないからこそ、その時間がとても貴重だとわかる。小さい頃から、星を眺めるのも、雲が流れて行くもの、空を見上げることは大好きだった。年末、田舎に帰省した時には、是非この詩のような心境で、ゆったり過ごしてきたいと願っています。

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