Beginning and Ending [Documentaly]
旅も後半。そろそろ疲れが溜まってきた。
昨日の朝もちょっとダルかったけど、結局ツアーに参加して、イギリスにある日本資本のウィスキー/ジン会社(天雀)に勤める女性とお話しする機会があった。
一昨日はたまたま入ったサイレントバレーのクラフト店のスタッフが、日本大好きな息子にメッセージくれない?と日本語で動画を撮ったりした。偶然にも日本が好きとか、日本にゆかりのある人だったり、日本に旅したことがある人達ばかりで日本を悪く言う人には会っていない。
今回の旅は私の今後/将来を決めるかもしれない旅でもあったが今のところまだ結論は出ていない。日本に帰って元の海外旅行の仕事(アウトバウンド)を続けるか、または海外からの客を受け入れるインバウンドにするか、はたまた作家になるか(爆笑)
アイルランドの日本人ガイドさんからも最新情報を教えてもらって、インバウンドの仕事需要がかなりあることは知っていた。昨日のイギリス女性も日本の旅情報はロンリー・プラネット(ガイドブック)からだったし。
作家(苦笑)はC.S.Lewisがナルニアを出版したのが52歳の時、という話を聞いたから(単純)
元々サリー・ルーニーの作品Normal Peopleを巡る旅がキッカケでもあったし、沢山の作家が産み出す作品を巡る旅をしながら、日本人ガイドさんが道中こんな話をしてくれた。
言葉の力と桜の話。詳しくは下記を参照してもらうと良いのですが、要約すると桜の色、というと花ばかりを考えるが実は桜の色は桜の木全体が木の中で作り出したもの。桜の花は木の先端にあり、その色の美しさを魅せる一端に過ぎない、と。
http://www.za.ztv.ne.jp/iguchi/monooki/kotobanotikara.html
自分の中(幹)の言葉を外に出す(花)のは難しいし、それを自分らしく正しく伝えられるかどうかはもっと難しい。私の中にある言葉の渦(まだ言葉かどうかもわからない感情)が表に出て来ることはあるのだろうか。たぶん殆どが消えてしまうだろう。
こんな風にblogに書いている即興のような言葉も、自分の芯から考えられて出てきているものではない。ではどんな言葉を綴れば良いのか。自分の言葉と真摯に向き合うことは出来るのか。
イギリス/アイルランドでも八重桜は沢山見かけた。八重桜は昔から大好きだった。日本ではない場所でも桜は咲く。だがどこで咲こうが桜が咲くシーズンは一年でもほんの短い期間でしかない。その儚い時間だけ桜の木は集中して美しい花を生み出そうとしているのだ。
私の中にある言葉を紡ぎ出す努力をしなければ。それは作品と呼べるものではないただの言葉の並びかもしれない。でもこの旅が終わる時、何かの始まりであって欲しいと心から願う。
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