さそりの火 [Adam Lambert]
今朝は雨が降っていたけど、ちょっぴり幸せな気分だった。でも、夜にショッキングなニュースが入り、冷たい雨が降りてきた。
私の胸に冷たい雨が突き刺さったのは、Twitterで知った、ABCがAdamへ出演予定の番組へのキャンセルを通知したことを知ったからだ。
何を隠そう11/22のAMAでのパフォーマンスが原因で、11/25のGMAも直前にキャンセル、そして追い打ちをかけるように、2本の番組のキャンセル。一体ABCは何を考えているのか?自分で溝を深めていることに気が付かないのかしら?
一言書かないと眠れない気がしたので、感情の赴くままに書くことをお許しください。
以前、Adamのことを月に例えて書いたことがある。昨日の夜は美しい満月だった。衛星「かぐや」の映像をご覧になったことがある方なら、月面が銀色にひかり輝き、見たこともない美しさを放っていることに、そしてその向こうに漆黒の闇に浮かぶ青き星・地球に感動を覚えるだろう。
私にとってのAdamもそうだった。今まで遠く日本からTVだけを通じて見ていたAdamと、実際に見るAdamはまったく違う。輝きと妖艶な光、滑らかな肌、暖かい頬笑み、想像できないほどの美しさだった。
この写真を見ていると、Adamはどちらかと言うと地球に見えるかもしれない(笑)人間、いろんな側面があるのはわかっているが、いつもうさぎが餅をついているような一面しか見てもらえない(それしか見えない)「月」のように、今現在のAdamが置かれている状況は、たった一度のパフォーマンスで、それが彼の全てであるかのように、誤って認識されている。彼に他の面がないかのように。
私は時々Adamは「地球」のような人だと思う時がある。いつも暖かさを感じるのだ。それは人としての暖かさ、素直さ、純粋さ、包まれている安心感などである。もともと「月」は「地球」に何かの物体がぶつかった時、「地球」の一部が飛ばされ、それが「月」だという学説が現在スタンダードになっているが、つまり「月」と「地球」は表裏一体なのだ。
何故、人は「月」へ行きたがるのか?毎晩いつも興味を持って見上げるのか?ひょっとしたら、自分が知らない自分を感じるからなのかもしれない。知らない自分を見ることを、興味深いと感じるか、嫌悪を感じるかは、その人次第だ。しかし無意識に押さえていたものが表面に出てくる時、まず人は拒絶から入ることが多い。今回の件も同じように見えるのは私だけだろうか?
宮沢賢治の有名な『銀河鉄道の夜』の中にこんな一節がある。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
初めてこの一節を聞いた時、心が揺さぶられるように、体が震えるような、胸を裂かれるような、激しい感情の高まりを感じた。
そして、この素晴らしい一節をAdamに贈りたい。
どこまでも一緒に行こうね、Adam
Adamは自分の身体を炎に投じても、誰かの「しあわせ」を心から願う人だ。
あなたの「ほんとうの幸い」のために私ができることはすべてしてあげたい、そう願った今夜でした。
私の胸に冷たい雨が突き刺さったのは、Twitterで知った、ABCがAdamへ出演予定の番組へのキャンセルを通知したことを知ったからだ。
何を隠そう11/22のAMAでのパフォーマンスが原因で、11/25のGMAも直前にキャンセル、そして追い打ちをかけるように、2本の番組のキャンセル。一体ABCは何を考えているのか?自分で溝を深めていることに気が付かないのかしら?
一言書かないと眠れない気がしたので、感情の赴くままに書くことをお許しください。
以前、Adamのことを月に例えて書いたことがある。昨日の夜は美しい満月だった。衛星「かぐや」の映像をご覧になったことがある方なら、月面が銀色にひかり輝き、見たこともない美しさを放っていることに、そしてその向こうに漆黒の闇に浮かぶ青き星・地球に感動を覚えるだろう。
私にとってのAdamもそうだった。今まで遠く日本からTVだけを通じて見ていたAdamと、実際に見るAdamはまったく違う。輝きと妖艶な光、滑らかな肌、暖かい頬笑み、想像できないほどの美しさだった。
この写真を見ていると、Adamはどちらかと言うと地球に見えるかもしれない(笑)人間、いろんな側面があるのはわかっているが、いつもうさぎが餅をついているような一面しか見てもらえない(それしか見えない)「月」のように、今現在のAdamが置かれている状況は、たった一度のパフォーマンスで、それが彼の全てであるかのように、誤って認識されている。彼に他の面がないかのように。
私は時々Adamは「地球」のような人だと思う時がある。いつも暖かさを感じるのだ。それは人としての暖かさ、素直さ、純粋さ、包まれている安心感などである。もともと「月」は「地球」に何かの物体がぶつかった時、「地球」の一部が飛ばされ、それが「月」だという学説が現在スタンダードになっているが、つまり「月」と「地球」は表裏一体なのだ。
何故、人は「月」へ行きたがるのか?毎晩いつも興味を持って見上げるのか?ひょっとしたら、自分が知らない自分を感じるからなのかもしれない。知らない自分を見ることを、興味深いと感じるか、嫌悪を感じるかは、その人次第だ。しかし無意識に押さえていたものが表面に出てくる時、まず人は拒絶から入ることが多い。今回の件も同じように見えるのは私だけだろうか?
宮沢賢治の有名な『銀河鉄道の夜』の中にこんな一節がある。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
初めてこの一節を聞いた時、心が揺さぶられるように、体が震えるような、胸を裂かれるような、激しい感情の高まりを感じた。
そして、この素晴らしい一節をAdamに贈りたい。
どこまでも一緒に行こうね、Adam
Adamは自分の身体を炎に投じても、誰かの「しあわせ」を心から願う人だ。
あなたの「ほんとうの幸い」のために私ができることはすべてしてあげたい、そう願った今夜でした。
noel様、nice!ありがとうございました!
by ピョル (2009-12-08 08:44)