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Express myself [Column]

先週から写真を習いに行っています。
基本的なカメラの構造を学び、今日は風景と料理の写真について、Googleなどに上がっている写真を参考に教えてもらいました。

人間の2つの目で見た被写体は遠近や、厚さや薄さなどを認識できるが、一眼でしかないカメラが撮る被写体は、平面でしかない。まずそこから始まりました。

例として、料理の写真はメニュー全てを撮ろうとするため、真上から撮ると凹凸もなく、肉の厚さや、湯気がたってるところなど全く映らない。

視点を動かすことなくカメラを構えるので、本当に撮したいメインメニューがカメラから遠くにあること。

またフラッシュを焚いたり、暗がりの中で撮る場合が多いので不自然な色で美味しさが全く伝わってこない、などなど。

実際、カメラの位置を上下、左右、角度を変えるだけで写真の印象は大きく変わる。プロが撮った料理の写真は皿が見切れてはいるが、逆に料理に集中できる写真が多い。

素人が撮ると、お皿やテーブルなど余計なものが入りすぎて散漫になるから、本当に見て欲しいものだけに集中して、他は削ぎ落とすことが必要だ、と。

今日このレッスンを受けていて、写真というのは撮し手と、見る側の双方向なんだ、と気づいた。

これって歌と一緒だ。自分の感性を磨かなければ、表現の豊かさには結びつかない。歌は身体を使い、写真はカメラを使う。道具は違えども、自分という人間を表現する大切な道具だ。

カメラの先生からは、毎日1,2枚でもいいから写真を撮ってみなさい、と言われた。今日は4ヶ月ぶりの歌のレッスンもあったので、疲れ気味なので、また明日。

Carry On [Column]

18日間の出張から戻ってくる時、ふとこの一年、仕事でしか旅してないことに気づいた。

今年はAdam+Queenのサマソニぐらいで、自分が行きたい!と思う旅をしてなかった。

そしてフッと頭に浮かんだ景色があった。何故そこが浮かんだかは分からない。

でも無意識に心安らげる場所が必要だったのかもしれない。そしてそこに行くための、ちょっとした冒険心も。

着々と進んで行く。大きな地図が必要だ、小さな細道も見逃さないような。美味しいものに辿りつけるような。

何処に行くかはヒミツ。
楽しみにしてて。


Photography [Column]

昨日、久しぶりに友人と近所へ遊びに出かけた。まず、遠路遥々、訪れてくれた友人に感謝。彼女から開口一番、”最近FBの更新がないね。一時期ドッと上ったのに”の言葉に戸惑った。

そう、私はずぼらな性格で、最近はblogの更新もままならない。昔は言葉を綴ることを楽しみ、自分の書きたいものが溢れてきたのに。今ではFBも、良い写真がないと記事をあげない始末。

私の中で興味の優先順位が色々変わって来ているのは事実。今の興味はズバリ、写真。今年は仕事で色んなところへ出かけたが仕事優先で、唯一の楽しみは写真を撮ることだった。

昨日もカメラを持ち出して、花を撮ってはみたが、どうも上手くいかない。一緒にいた友達は携帯で撮ることを諦め、花の名前と、花自身の印象を話し始めた。その時、ハッとした。周りが見えていないよ、あたし。

被写体にばかり気を取られ、花の名前や、花の印象を全然見てない!しかも悪いことに、カメラのレンズを通すと、見たという実感が湧かない。

これは私の悪い癖。写真は撮るものの、訪れた場所の印象はほとんどない。

どんな匂いだったか、周りの音はあったのか、風は吹いていたか、何時だったのか、記憶がないのだ。これではせっかく来た意味がないではないか!

だからなのか。

実は今日、写真教室の体験に行ってきた。先生に上記のことを話したら、”それは獲物を狙うハンターなってしまってるね。狙ったショットを撮ることだけで終わっている”

今まで撮りためた写真の中から、幾つか選び出して持って行った作品を見せ、感想を聞いてみると、”綺麗だし、構図も悪くない。ただし悪く言うと、料理でも見た目は綺麗だけど、味のない料理になってる”と話してくれた。

なんのために撮るのか。誰かに見せて、凄いねー。って言ってもらうため?自己満足?いや、昔は違ったはず。心でこれは撮っておきたい、という風景や、瞬間があったのだ。自然に、心に添った、自分が心から撮りたいと思ったものを撮っていた。利己的ではなく。

でもただ撮るだけではダメなのだ。写真に想いをのせる、写真を見て自分の作品であると判る個性、心に残る写真を撮るための一歩をあたしは踏み出したばかり。

ヤダ、これって歌と一緒じゃない!それならやったことはある。上手くできたとは言えないけど、基本は同じなのだ。沢山撮って、客観的に見て貰って、沢山のいい写真と出会おう。プロの写真家の構図を真似ながら覚えていこう。

よし!ガンバレ、あたし!

Sound Track [Column]

ある日突然、映画”Elizabeth Town”のサントラ、とりわけ、”My father's Gun”を聴きたくなった。ところが、i tunesでは映画のサントラは販売してなかった。仕方がないので単品で購入したが。

この映画は、車に乗って旅に出たくなる、私にとって思い出深い作品。2009年、シカゴから車で旅に出る時、聴いていたサントラで、父を失った主人公て、母を亡くした私が重なった。
シカゴからアイオワの夢の球場への日帰り旅だったが、とても幸せな時間だった。

そして今日偶然に、TVで、まさに”Elizabeth Town”がやっていた。

来週末からの出張の最初の到着地はシカゴだ。この空港で生まれて初めて生Adamに会えるチャンスを与えて貰った。乗り継ぎだけ、だとしても私にはシカゴという思い出の地を経由する、それだけで嬉しい。

素敵な旅への始まりには、ぴったりな場所だ。
もちろん、”Elizabeth Town”のサントラは必須。ちと面倒でもCDからダウンロードして行きます。


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One Fine Saturday [Column]

きっかけはCaptainの言葉だった。

”任務を遂行しろ”

みんな、なんのこっちゃ?ですよね。

土曜の午前。Captain America Winter Soldierを見ました。


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1918年生まれの愛国心溢れる、正直者のキャプテンですから、任務中も真面目そのもの。その姿を見て、何だか自分の仕事中の姿に重ねてみてしまい、悲観的になってしまった。(Marvelの作品で考えちゃうのも珍しいけど)

旅の仕事をしていると、旅が息抜きや、癒しや、リフレッシュや、現実逃避ではなくなります。私が求めるものを満たす個人的な旅は数度しかないなんて人生のムダ、とふざけた考えで頭が埋まってしまい、驕った言動をしてしまった。

だが。

土曜の午後、ある言葉に出会った。

”今日はそこに行って帰ってくることを目的とします”

Facebookでの、美術館ロッジ作戦の鴻池さんの言葉。

これを読んだ時、目からウロコ、視界がパァーっと開けた感じがした。

何、甘えたこと言ってんだ、あたし。これこそが究極の旅の、いや冒険の目的。旅は仕事だが、私がしたいのは冒険なんだ。なんかモヤモヤが晴れた感じ!


ある夏の終わりの土曜日。

外は暑く、蝉がわんわん鳴いてる。

何処かで誰かがピアノを弾いてる。

聴いたことのないメロディだけど、頭の中で心地よく響く。

ただただ自分と対話する。

気持ちが落ち着いてくる。

土曜日も、もうすぐ15時になる。

パンケーキでも焼いて、甘い匂いに浸ろう。

Oh Captain! My Captain! [Column]

帰省中の8月11日、俳優のRobin Williamsの訃報を知った。

彼が出演した映画は幾つか観ているが、私の中で最も印象深いのは、”Dead Poets Society”(邦題:いまを生きる)である。

高校教師 John Keatingを演じ、私は彼の生徒達とほぼ同年代であったし、何かを変えたい、未来を見つめ、自分の道を模索していた、多感な時期に出会い、大いに感化された映画だった。

使われた詩やセリフをタイプで打って、いつも身近で見える処に置いていたくらい、大好きだった。それは今だに宝箱に大事にとってある。

だから…Robinの訃報を聴いた時、頭に浮かんだ言葉は

”Oh Captain! My Captain!”

だった。

映画を観たことがあるなら、この意味がわかるだろう。

だが映画では、Abraham Lincolnに捧げられた詩とだけ、紹介されていたが、実際のWhitmanの詩は、南北戦争で奴隷解放、絶頂期にいたリンカーンの暗殺、不在を嘆く詩、である。その一節を紹介します。


O Captain! my Captain! rise up and hear the bells;

Rise up--for you the flag is flung--for you the bugle trills,

For you bouquets and ribbon'd wreaths--for you the shores a-crowding,

For you they call, the swaying mass, their eager faces turning;

Here Captain! dear father!

This arm beneath your head!

It is some dream that on the deck,
You've fallen cold and dead.


おお、船長!わが船長よ!起き上がって鐘の音を聴いてください

起き上がってください、あなたのために旗は打ち振られ、あなたのためにラッパは吹き鳴らされ

あなたのための花束とリボンのついた花環は飾られ、あなたのために海岸は人で埋まり

あなたのために彼らは叫ぶ、狂ったように手を振る群衆、彼らの真剣な顔はこちらを振りむいて

ああ、船長よ!親愛なる父よ!

あなたの頭を支えたこの腕!

これは夢だ。甲板の上にあなたが冷たくなって横たわっているのは


Robinが亡くなって、初めてこの詩の全文を読みました。

Twitterのトレンド入りしたくらい、ネット上では、”Oh Captain! My Captain!” と沢山の人々が呼びかけていた。


そしてRobin Williamsと言えば、個人的な思い出になるが、2009年秋のニューヨーク。

Adam Lambertのデビュー翌日。2日前の物議を醸し出したAMAのパフォーマンスで、当初予定していたABC系列Good Morning Americaの出演が急遽見送られ、代わりにCBS系列Early Showに出演した。

Early Showの元々この日の出演者はRobin Williamsで、Adamに譲ってくれたのだ。確か娘さんが、Adamのファンだったから、と記憶している。

はるばるニューヨークまでAdamを観に行き、本来であれば観れるはずもなかった番組を見る機会、参加する機会、Adamに会える機会を与えてくれたのは、Robinのおかげなのだ。

そう考えるとRobinは私の人生に、少なからず影響を、いや前述の映画を含めると多大なる影響を、与えてくれた人なのだ。

それも全て良い意味で。

お別れは、誰にとっても辛いものだが、今思い浮かぶのは、Robinの笑顔や、優しい表情だ。

彼を思い出す度に、私はこう叫ぶだろう。親しみと哀悼を込めて。

”Oh Captain! My Captain!”


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word,word,word [Column]

話したいことが沢山あるのに、言葉にならない。

誰かに言いたくても、相手がいない。

私の頭の中で、浮かんでは消え、また浮かんでは消える。

どう切り出していいのか。

支離滅裂でも、何かひとつ書いてみよう。

8月頭、個人的にあった嫌な経験が、自分の優柔不断を自覚させ、自己嫌悪に陥りそうになった。

一言、Noと言えばよかったのに。

眠れずに過ごした翌日、ちゃん話したから、ズルズル引きずることはない、と思うけど。


数日後、ベネディクトのハムレットチケットは無事確保出来たものの、友人の周囲や、若きアーティストなどが天国へ召された、その週。

そんな気分の時、無性に読みたくなったのが、W.H.Audenの詩集、とJane Eyreだった。

一方は、映画”Four Weddings & Funeral”でも読まれた、”Funeral Blues”や、映画”Before Sunrise”で読まれた、”As I Walked Out One Evening”の一節が入ったセレクト詩集だった。


  'The years shall run like rabbits,
  For in my arms I hold
  The Flower of the Ages,
  And the first love of the world.'

  But all the clocks in the city
  Began to whirr and chime:
  'O let not Time deceive you,
  You cannot conquer Time.


  'In headaches and in worry
  Vaguely life leaks away,
  And Time will have his fancy
  To-morrow or to-day.


  月日はウサギのように走り去る
  僕は永遠の花束を両手で抱える
  イヴを抱いたアダムのように

  すると町中の時計が
一斉に鳴りはじめた。
  ほら、時間は欺くこともない
  時間は征服することもできない


  頭痛や心配事で
  命の水は少しづつ漏れ出る
  時間は気まぐれで
今日か明日にも君を捕まえて
しまうだろう


全文では、恋人達の会話が散りばめられている。一方は永遠を、もう一方は時間の儚さを、歌っている。

Jane Eyreは最近観た映画で、セリフの美しさが耳に、心に響いた。特にJaneとRochesterの会話が。

本を買い、実際に声に出してセリフを読んでみると、さらに恍惚感が広がる。


ここまで書いてきて、自分でも何を言いたいのか分かってないけど、ひとつだけ分かるのは、何か”言葉”が必要なんだ、あたし。

詩も、セリフも、そのものズバリ!ではなく、滲むような、染み込むような、言葉が、必要なのかも。


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Copa do Mundo [Column]

終わってみれば、ドイツの堅さ、層の厚さが光った、ブラジルW杯。私にとって、初めてほぼ全試合観た、そして純粋に楽しくサッカーを観れたW杯でした。

サッカーを知ったのは、ご存知、キャプテン翼のおかげ。

ど田舎の民放が2チャンネルしかない時代に、東京の地方局が放映した、アニメを見られるなんて、奇跡?w

という訳で、たちまちサッカーの魅力に取り憑かれたのは言うまでもありません。

テレビで見ることの出来るサッカーと言えば、高校サッカーしかなく。

だがそんな時代にも、高校野球のPLの熱狂!とまでは行きませんが、青森の五戸高校がベスト8まで行っちゃって、かなりワクワクしてTVを見てたことだけは覚えています。

今やその選手の一人が次期オリンピック監督ですから、月日が流れるのは早い、というか。

あの頃、サッカーのサ、の字も知らない日本人が、Jリーグのバブルと、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜を経て、W杯5期連続出場、いまや田舎の婆ちゃん達が早朝の畑仕事前に、試合を見るようになるまでに。

先ほどまで、ブラジルW杯の32日間ダイジェストを見てると、選手達より、周りの応援してる一般人の喜怒哀楽に、心を動かされました。

サッカーって凄いな、って言うのは簡単です。ここまで幸福の絶頂から、地獄の奈落まで魅せてくれるスポーツはないでしょう。

日本じゃ考えられませんが、サッカーの試合は、イタリアやスペインじゃ、民族やその昔、国が分かれていた時代から続く戦争にも似たもの。

だから人生や命まで賭けてしまう、熱狂的な人達も存在するんです。

4年に一度の、オリンピック以上の、まさに世界規模の、選手、監督、スタッフ、いや国民全部引っくるめてのお祭りは、今朝方、終りを告げましたが、兵どもが夢の跡、ではないですが、俄然生の試合が見たくなりました。

実は私の中で、今まで見てきたW杯の中で、私にとって忘れられないチームがあるとすれば、それは2002年のアイルランド。

ドイツ戦の、ゲルマン魂をも脅かす、不屈の精神で、ロスタイムに追いついた、あの試合。

あれ以来、W杯には出場はしていませんが、今回の初出場ボスニア・ヘルツェゴビナに似た、ひたむきで、誰が見ても応援したくなるチームでした。

今回のW杯。信じられない出来事の連続でした。

そんな中、思いがけず、オランダを応援していた自分。今年頭に訪れた国、というより、サッカー自体が面白かった。何でもあり、というか、行き当たりばったりというか、奇策というか、イケメンが少ないというかw

予測できないことが大好きな私にピッタリのチームでしたw

ひとつのボールが転がるだけで、なんでこんなにワクワクするのか。

ひとつのパスが繋がるだけで、なんでこんなにドキドキするのか。

チームが輪になるだけで、なんでこんなに涙が出そうになるのか。

言葉では言い表すことのできない、湧いては消え、消えては湧く、複雑な感情。

サッカーは、俺の夢だ!

と翼くんが言った、あの時から続いてる道。

どこまで行けるんだろう。

どこまでも行けるだろう。



おまけ:祝!ドイツ優勝!を記念して、シュナイダーくん誕生秘話w
http://number.bunshun.jp/articles/-/679430

Food is Great (Britain) [Column]

イギリスの食べ物とは?

と聞かれたら何と答えます?

イギリスの食べ物って美味しいの?

って聞かれたら、マズイって答えます?

今日(仕事で)パネルディスカッションを聴いていて、ちょっと違和感があったので。

まぁ、たった5分ぐらいで、イギリス料理を語れって言われても大変なのは分かりますが。(結局、アフタヌーンティー、フィッシュアンドチップスだけ)

私個人は、イギリス料理は?って聞かれたら、パブ飯をあげるし、うまいか?って聞かれたら、マズくはないし、マッシュポテトさいこー!って答えますが(笑)

まぁ、日本料理で同じネタ振られて、居酒屋料理って言えないのと一緒なのかしら?

折角のパネルディスカッションなのに、プロ達からありきたりの答えしか出なかったのが、寂しい。

一つだけ、おおおおっ!と思ったのが、(香水の)ペンハリガンでの体験を語ってくれた人。自分自身のことを話した上で、その人にあった香りを幾つかチョイスしてくれるマダムの話。

で、香水って、実際つけてみないとわからない。←つい最近、私もJo Maloneに行って分かったw

そして、誰かが選んだものではなく、自分が選ぶ←ここポイント!ことが重要。

最近、メイベリンの謳い文句”私にはその価値があるから”にかなり共感してる私。

パブ飯食べて、ペンハリガン行くか?ってツッコミはいいとして。

長年、業界にいると、型通りのものしか見えてこなくなるからコワイ。

外の人からは東京が世界一魅力的な街に見えるのと同じように、私が見たイギリス、ロンドンも同じように、魔法にかかったように、キラキラと輝いて見えてるだけなのかしら?

モヤモヤと衝撃 [Column]

仕事でモヤモヤした帰り道。

突然思い出したことがある。

あれは小学生6年の時。

その当時、父が出稼ぎでお世話になっている社長さんの茅ヶ崎の家にお邪魔し、生まれて初めて、”しゃぶしゃぶ”なるもの食した時の


あのポン酢の衝撃!


生まれてこのかた12年の、食生活で、これほどのショックは初めてだった。

都会の、社長さんの、食事は凄いなぁ、と思ったかどうかは別として。

あれを超える衝撃を、いつか味わいたいと、もう◯◯年。

海外でも、日本でも、まだない。

だが、あれは多感な時期の私だから感じた衝撃だったのかもしれない。

あぁ、無性にポン酢が、いやしゃぶしゃぶ食べたい…。

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